2017年11月19日礼拝説教

 

生きる力を与えてくださる神様
イザヤ書40章31節、41章10節

イザヤ書40章31節には、次のように記録されています。

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

ユダヤ人たちは、神様に選ばれたという確信を持っていました。しかし、バビロンによって国は滅ぼされてしまい、彼らは、70年間バビロンで捕囚の生活をしました。捕囚の生活は、そんなに楽な事ではありませんでした。虐待は当然あるし、毎日続ける苦役で本当に疲れ切っていました。簡単に言うと、絶望の淵を歩む日々でした。そのようなユダヤ人たちに、福音が与えられました。

預言者イザヤは、40章と41章で、疲れ切っているユダヤ人たちに、絶望の中にいるユダヤ人たちに、その疲れから、絶望から解放されることが出来る方法を示しています。

私たちは、イエス・キリストを信じて救われました。しかし、救われていますが、神様に毎日恵みをいただいていますが、疲れているのも事実です。時々、絶望の淵に沈んでいるのも事実です。家庭のことで、会社のことで、教会のことで疲れて休みたいと切に願っているのが私たちではないでしょうか。信仰を持っている私たちと、信仰を持っていない人々は、同じように疲れや絶望を感じます。しかし、私たちには、その疲れから、絶望から解放される方法が与えられています。私は、まず、御言葉に基づいて、70年間の捕囚の生活で疲れ切っていたユダヤ人達を、絶望の淵に沈んでいたを、イザヤはどのように励ましたのかを調べてみたいと思います。また、救われた私たちが、持つべき信仰がどういうものであるかを調べたいと思います。イザヤは二つの解放方法を伝えました。

第一に、神様の助けを忍耐を持って待ち続ける事です。
イザヤ書40章27〜31節には、「疲れ」という言葉が、繰り返して使用されています。28節には、神様に対して次のように記録しています。28節を共に読みましょう。

「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。」

私たちが、信じている神様は、疲れることなく、倦むこともないお方です。「倦む」という言葉と「疲れ」という言葉は、同じ意味を持っている言葉です。ただ、その意味を強調する為に、使われています。倦むこともない神様が、疲れることもない神様が、疲れ切っている人々を、倦んでいる人々を助けて下さると、イザヤは語っています。続けて29節を読みましょう。

「疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。」

私たちが信じている神様は、疲れた者に力を与えて下さるお方です。30節も読んでみましょう。

「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが」

30節では、若者も疲れ、また倦むと記しています。しかし、31節を読んでみましょうか。

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

ここで使用されている「疲れ」また「倦む」という言葉の意味は、一時的に力がなくなってしまった状態を意味します。私たちは、急激なストレスを受ければ、すぐ疲れを感じます。また、絶望の淵に沈む時もあります。疲れを感じるのは、歳とは関係ないと思います。30節を見ると、若者も、勇者も倦んで、また、疲れて倒れると、聖書は、語っています。

私たちも、今、疲れているのではないでしょうか、絶望の淵に沈んでいるのではないでしょうか。それで、何もしたくない、働きたくないという気持ちでいっぱいではないでしょうか。皆さん!私たちは、この疲れから、絶望から解放される事が出来るのでしょうか。疲れを乗り越えて、絶望を乗り越えて、神様の為に、教会の為に働き続ける事が出来るのでしょうか。この質問に対してイザヤの答えは、「はい」と答えて下さいました。また、その方法も教えて下さったのです。もう一度31章を読みましょう。

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

イザヤが教えている方法は、簡単です。主に、神様に望みをおく事です。「望みをおく」という言葉は原文では[qavah]という単語で使われています。英語の聖書kjvでは、「wait」、「待つ」という言葉で翻訳されています。

疲れ切っている時は、私たちに必要なことは、ただひれ伏して神様の助けを待ち望む事です。その時の待ち望みは、人生の旅を続ける為に必要な希望の力を充電する時間であると言う意味です。

韓国のキム・サントという先生が書いた本の中で「しゃがんだ時間も、私の人生でしょうか」という本があります。その本の内容を少し紹介します。彼は、自分の本の内容で、ヒマラヤという映画の内容の一部を引用しました。

ヒマラヤの全ての日々が、偉大ではありません。私たちは、ヒマラヤ山脈を登頂したら、ヒマラヤの頂上に国旗を立てて万歳をします。その時、険しい山を悪戦苦闘しながら登った姿、また、一本の綱に頼って絶壁を上がった瞬間等を思い起こします。しかし、ヒマラヤを登頂した後、覚えているのは、気象や登頂状況が悪い時、テントの中でカップラーメンを食べながら状況が、気象がよくなるまで待っていた時間です。ヒマラヤの頂上に立つ夢を持っているすべての人にとって、しゃがむ時間、まつ時間は、必ず必要です。私たちは、このような時間も偉大な山登りの一部と言います。

キム先生は、その内容から一つの事を学んで次のような内容を書きました。羅針盤がなかった時代の船を運転している人たちは北極星を向けて航海をしました。北極星まで行くためではありませんでした。漆黒の闇の中で北極星だけは揺るがされず、彼らを導いてくれるからです。

神様の民に、神様以外に誰が、北極星の役をする事ができるのでしょうか。私たちが直面している環境が厳しいくらくても、疲れ切ってしゃがんでいても、私たちが、忘れてはいけない事が一つあります。それは、神様に視線を固定して、神様の助けを祈り求めていることです。時が来ると、神様は、私たちを立たせてくださいます。私たちが立ち上がる事が出来るように、力を与えてくださいます。

皆さん!働きすぎて、疲れ切っているのでしょうか。神様に頼り続けましょう。倦んでいても、神様に頼り続けましょう。神様に望みをおきましょう。そして、神様が働いて下さる事を、待ち望みましょう。また、神様が与えてくださる力を期待しましょう。

「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」

私たちは、神様の力によって、働き続ける事が出来ます。

第二に、神様が助けてくださる事を確実に信じる信仰です。
人生という旅をする途中、激しい疲れと絶望を感じる時もあります。その時、私たちは、神様により頼る必要があります。しかし、神様により頼り続けるのもそんなに簡単な事ではありません。神様の助けを待ち望んで、神様から力をいただいて、再び生かされる時もありますが、そうではない場合もあるということです。待ちくたびれて倒れる場合もありますね。その時、私たちに必要なことは何でしょうか。待ちくたびれて倒れている私たちに必要なことがあります。神様は、私たちを絶対に捨てないという信仰です。私たちには、神様の助けを待ち続ける信仰も必要です。それと共に、大事なことは、私たちを絶対に諦めない神様を、私たちを捨てない神様を確実に信じる信仰が必要です。

皆さん!イスラエルの民が、70年間バビロンで過ごした捕囚の生活を考えてみて下さい。最初、彼らは、神様の助けがすぐに与えられるという信仰を持って、神様の助けを待ち望んでいたはずです。しかし、その待ち望みは、徐々に絶望に変わりました。そして、大抵の人々が、捕囚の生活に慣れてしまって、未来に対する希望を諦めました。しかし、その時、神様の約束の御言葉が与えられました。イザヤ書41章10節です。

「 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。」

イザヤは、神様に望みをおく信仰から、一歩進んで、神様の助けを強く信じる信仰を持つ事を、ユダヤ人たちに語りかけています。この御言葉は、長い時間重ねられた疲れが、絶望に変わる瞬間、与えられた福音でした。イザヤは、41章14節で次のように語っています。

「あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神/主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ/イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。」

神様は、イスラエルの人々を「虫けらのような者」だと指摘されました。韓国語の聖書は、虫ではなくミミズという言葉で翻訳しました。つまり、ユダヤ人たちの存在は、ミミズのようにやっとうごめいている存在にすぎませんでした。人々に、踏みつけられている本当に弱い存在、惨めな存在が当時のユダヤ人たちの存在でした。しかし、41章15節で、神様の希望の御言葉が与えられています。

「見よ、わたしはあなたを打穀機とする/新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。」

どういう意味なんでしょうか。ミミズのような存在だったユダヤ人たちが、人々に踏みつけられていたユダヤ人たちが、新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機のように強くなるという意味です。つまり、ミミズのような存在だった私たちが、人々に踏みつけられていた私たちが、神様によって新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機のような存在、力強い存在になるという意味です。神様が、私たちを用いてくだされば、私たちに偉大な変化が与えられます。イザヤ書41章8節です。

「わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ。」

続けて9節も読みましょう。

「わたしはあなたを固くとらえ/地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕/わたしはあなたを選び、決して見捨てない。」

そして、次のような約束の御言葉が与えられます。41章10節です。

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。」

 
皆さん!この約束の御言葉を固く信じましょう。神様が、私たちを必ず助けて下さいます。神様は、ご自身の救いの右の手で私たちを支えて下さいます。その時、私たちは、もう一度鷲のように力強く飛ぶことが出来ます。

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