宗教改革500年記念礼拝

ただ恵みのみ

エフェソの信徒への手紙1章3〜14節

 中世教会は、神様が、霊的な祝福を与えて下さるお方だと教えました。しかし、中世教会は、神様の祝福をいただく為には、人間の良い働きが必要だと教えました。16世紀ローマ教会は、神様の恵みによって、人間は救われる事を認めました。しかし、ローマ教会も、その神様の救いの働きに、人間のよい行いが少しの影響があると付け加えました。

しかし、宗教改革者たちは、ただ神様の恵みのみで、ただ信仰のみで、人間は救われるという聖書の教えを守ることを主張しました。

ローマ教会は、宗教改革に反対する為にトレント公会という会議を開きました。1546年〜1563年の間25回集まりました。トレント公会を通して、ローマ教会は、神様が救いの恵みを与えてください事を認めました。しかし、人間の良い行いが神様の救いの働に影響があるという教理を持ち続けることを改めて決議しました。

聖書が、信仰生活の基準であることを認めながら、教会の教えと伝統も絶対的な基準であると少し付け加えました。人間は、信仰によって神様から恵みを頂きます。しかし、人間のよい行いが、神様の恵みをもっと豊かにすることが出来ると教えました。人間はイエス・キリストを信じる信仰によって救われますが、マリアのような聖人たち、また人のよい行いが、神様の救いの働きに役に立つと教えました。

しかし、ルターとカルバンは、「ただ」、「ひたすら」、と教えました。神様が与えてくださつた「ただ聖書のみ」が絶対的な権威を持つということを力強く教えました。人間の伝統には、権威がないということを力強く教えました。ただ神様の恵みのみで、ただイエス・キリストを信じる信仰のみで、全ての人は救われると、ルター、カルバンは、力強く教えました。人間のよい行いが、神様の救いの働きに影響を与えることが不可能であると大胆に教えました。神様が与えてくださった御言葉に、恵みに、他のことを加えるならば、その教えは嘘です。神様の御言葉に、恵みに人間の伝統や経験や知恵を少し付け加えるならば、それも、正しい信仰だとは言えません。

今日の聖書箇所は、宗教改革者たちが教えた「ただ恵みのみ」という意味が何であるかを、明らかに教えています。私は、今日の聖書箇所に基づいて、神様が私たちに与えてくださった恵みがどういうものであるかを、皆さんと共に考える時間を持ちたいと思います。 また、この御言葉を通して、私たちにいつも恵みを豊かに注いておられる三位一体の神様を褒め称える時間を持ちたいと思います。

第一に、私たちを救う事を予定された父なる神様の恵みを感謝し褒め称えましょう。(3~6節)

3節を共に読みましょう。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」

「褒め称えられます」という言葉があります。その言葉の原文的な意味は、祝福という意味です。父なる神様は、祝福の源です。父なる神様は、イエス・キリストを通して、私たちに全ての祝福を与えてくださるお方です。この世にある全ての物質的な事も、神様が私たちに与えて下さる祝福です。しかし、この世の祝福は、いずれ消え去るものに過ぎません。しかし、霊的な祝福は、永遠のものです。それで私たちが求めるべき祝福は、この世の祝福ではなく、天の祝福です。それでは、天の祝福は何でしょうか。4節を見ましょう。

「 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」

天の祝福は、私たちが聖なる者になるという事です。それも、父なる神様の御前で、神様との関係の中で聖なる者になりました。いかに尊い祝福でしょうか。続いて5節を読みましょう。

「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」

天の祝福は、神様の子になる事です。父なる神様に愛される子供になる事が、天の祝福です。続いて7節を読みましょう。

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」

天の祝福は、御子なるイエス・キリストの血潮によって贖われ、罪が赦された事です。また、11節を読みましょう。

「 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」

天の祝福は、約束されたもの、つまり、天国の相続者とされた事です。

どれほど尊い恵みなのでしょうか。それらが神様が私たちに与えてくださった霊的な祝福です。

しかし、本当に、驚くべきことは、そのような祝福を神様は、恵みとして、私たちに与えてくださったという事です。

それらが神様の恵みであるということは、私たちを選ばれ、定められたという言葉で明らかに示されています。4節をもう一度読みたいと思います。

「4節、天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」

神様が、私たちを選んでくださいました。それも、この世が造られる前です。私たちが、生まれる前に、神様は、私たちを選んで下さいました。どれほど大きな恵みなのでしょうか。神様が、私たちに与えてくださった恵みは、私たちの力やよい行いと全く関係ない恵みではないでしょうか。5節を読みましょう。

5節、「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」

神様が、私と皆さんを選んで下さいました。それには特別な理由があったのではありまん。ただ神様の御心のままに前もって定められました。

私たちが救われたのは、神様が天地創造の前に定められたことです。神様は、私たちの内にある、あるものを見て、私達を選ばれたのではありません。私たちの良い行いを見てからでもありません。ただイエス・キリストを通して、御心のままに、私たちを救ってくださいました。

神様は、全ての人にイエス・キリストを信じる恵みを与えてくださったのではありません。しかし、神様は私たちに、福音を聞いて信じる恵みを与えて下さいました。それで、天地創造の前に、私たちを救いの対象として選んでくださった神様に賛美を捧げるのは、私たちクリスチャンの義務ではないでしょうか。

第二に、イエス・キリストの十字架を通して私たちを救ってくださった神様を褒め称えましょう。(7~10)

7節を読みましょう。

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」

神様は、天地創造の前、私たちを救う事を予定されました。神様は、私たちをご自身の計画通り救って下さる為に、イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。イエス・キリストは、私たちが受けるべき永遠の審判を、私たちの代わりに受けて下さいました。イエス・キリストは、私たちが受けるべき永遠の罰を、私たちの代わりに受け入れて、十字架の上で、贖いのいけにえとして、ご自身を捧げたのです。そのイエス・キリストの血潮によって、私たちは救われました。

ここで、私たちが考えなければならないことが一つあります。神様は、なぜ、私たちを救ってくださったのかという事です。神様は、何の目的も持たずに、私たちを救ってくださったのではありません。では、なぜ、私たちを救ってくださったのでしょうか。その答えは10節にあります。共に読みましょう。

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」

簡単にいうと、イエス・キリストに従順に従わせるためです。私たちが救われた究極的な目的は、イエス・キリストに従わせるためにです。この事実を、私たちは忘れてはいけません。私たちが、イエス・キリストの血潮によって救われたという事を、確実に信じているならば、そのイエス・キリストに従う人生を過ごすのが、私たちクリスチャンの義務です。

第三に、聖霊様を通して、イエス・キリストを信じるように導いてくださり、その信仰を保つことが出来るようにしてくださる神様を褒め称えましょう。(11~14)

父なる神様は、予定された救いの計画を、御子なるイエス・キリストの十字架の死を通して、また、イエス・キリストの復活を通して成し遂げられました。しかし、それだけが、神様が、私っちに与えてくださった恵みではありません。神様は、私たちに救いの恵みと共にもう一つの恵みを与えて下さいました。13節を読みましょう。

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」

福音を聞いたことがある人は、沢山います。しかし、ただ予定されている人々のみが、イエス・キリストを信じることが出来ます。福音を聞いてイエス・キリストを信じるようになった人々は、聖霊様が証印を押してくださいます。つまり、私たちの心の内に揺るがない救いの確信を与えてくださるという意味です。

宗教改革が行われていた時、ローマ教会は、「私は救われた」と確実に主張した人々に呪いの宣言をしました。つまり、ただ信仰のみによって救われると主張する人々に呪いがあるようにと宣言しましました。しかし、カルバンは、エフェソの信徒への手紙1章13節の御言葉を通して、聖徒たちは、救いの核心を明らかに持つことが出来るとを主張しました。

その時も、今も、救いの核心を持たない人もいると思います。それは、ただ福音のみを、ただ聖書のみを頼らないからです。ただ信仰のみではなく、その信仰によい行いを付け加えているからです。福音を受け入れている人々には、聖霊様が、揺るがない救いの核心を与えて下さいます。宗教改革は、知識と制度の改革で始められたことではありません。宗教改革、御言葉に基づいて、聖霊様が与えて下さった救いの核心の体験による霊的なリバイバルでした。

今も、聖霊様が、御言葉を通して、私たちに揺るがない救いの核心を与えて下さいます。その

聖霊様のお働きがありますから、私たちは、天国の希望を持ってこの世を生きることが出来るのです。

 

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