救い主の誕生

救い主の誕生
イザヤ書11章1〜10節

 12月には、クリスマスがあります。私が日本に来て、すごく驚いたことが一つありました。12月になると、いろんな所でクリスマスパーチィが、行われています。そこまでは、まだ、理解出来ないことではありませんでした。私が、本当に、驚いたのは、お寺でもクリスマスパーティーが行われていると言うことです。大勢の人々が、クリスマの意味も知らずに、ただ、一つの祭りとして楽しんでいます。
真のクリスマスの意味を世の人々に知らせる為には、クリスチャンである私たちが、まず、クリスマスの意味を確実に理解する必要があります。クリスマスの真の意味を理解する為には、私たちは、まず、イエス・キリストの誕生の意味を理解する必要があります。今日、私は、今日の聖書箇所に基づいて、イエス・キリストの誕生に関して三つに分けて、皆さんと共に、考えたいと思います。

第一に、イエス・キリストは、聖書の預言の通りこの世に来られました。
イエス・キリストは、旧約聖書の預言とおり、この世に来られた唯一のお方たです。この世には、自分自身が救い主だと主張している人々が大勢います。しかし、彼らは、自分自身の主張を証明する根拠を持っているのではありません。単なる、人々を惑わす妄想に過ぎないです。しかし、イエス・キリストは、違います。イエス・キリストが、救い主であることを、旧約聖書は、確かに証明しています。この聖書が、示している救い主は、イエス・キリストしかありません。

イザヤは、エッサイの家系(血統)から、メシアがお生まれになることを預言しました。11章10節です。

「その日が来れば/エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」

一体、エッサイは、どう言う人物なんでしょうか。エッサイは、ダビデのお父さんです。ベツレヘムの平凡な農夫であったエッサイの家系から、全ての民族を救うメシアがお生まれになると、イザヤは預言しています。

イザヤの預言から、数百年がたった後、イエス・キリストが、この世に来られました。この世に来られたイエス・キリストの肉体の父親であるヨセフも、エッサイと同じように平凡な人間でした。
平凡なエッサイを用いられて、偉大な王であるダビデを遣わして下さった神様は、同じく、平凡なヨセフを用いられて、メシアをこの世に遣わされました。
この預言は、メシアであるイエス・キリストがこの世に来られる前、730年前の預言です。その後、その預言は、成就されました。マタイによる福音書に記されているイエス・キリストの系図は、次のように始まっています。マタイによる福音書1章1節です。

「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」

また、マタイによる福音書1章は、ヨセフと婚約したマリアが聖霊によって身ごもっていると記しています。そのマリアの体内にいる子が、全ての人々を救うメシアだと宣言しながら、マタイは、次にように記しています。マタイによる福音書1章22節。

「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」

ここで記されている預言者は誰でしょうか。預言者イザヤです。本当に驚くべき預言の成就だと思います。人類の歴史上、一人の人物の誕生を700年前、その人の家系まで確かに示して預言された人物は、イエス・キリスト以外、いないと思います。

この偉大な預言をイザヤを通してされた神様は、イザヤと同じ時代に活動した預言者ミカを通して、イエス・キリストのお生まれの場所まで、預言されました。ミカ書5章1節です。

「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」

メシアであるイエス・キリストは、ある日偶然にお生まれになったお方では決してありません。イエス・キリストは、父なる神様のご計画によって、この世に来られたお方です。

第二、イエス・キリストは、御霊によってこの世に来られました。
メシアであるイエス・キリストにとどまる御霊は、知恵、識別の霊、思慮の霊、勇気の霊、主を知り敬う霊とイザヤは、紹介しています。11章2節です。

「その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。」

この世に来られるイエス・キリストは、主を畏れ敬う霊によって満たされると、イザヤは預言しています。3節を読みましょう。

「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず/耳にするところによって弁護することはない。」

神様の御使が、マリアに現れて、次のように預言しています。ルカによる福音書1章35節です。

「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」

メシアであるイエス・キリストの誕生の全ての過程は、御霊による出来事です。この世に来られたイエス・キリストは、30年間の私的な生き方を終えて、公生涯を始められる前、洗礼者ヨハネにより、洗礼を受けました。マタイによる福音書3章16節を探してみましょう。

「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」

イエス・キリストの公生涯は、そのように御霊に満たされてから、は閉められました。イエス・キリストのお働きの源がなんであるかを、ルカは、使徒言行録で次のように記しています。使徒言行録10章38節です。

「つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。」

イエス・キリストがなさったすべての出来事は、御霊によるものです。イエス・キリストの働きの中で一番大事なことは、十字架の上で死ぬことです。その偉大なイエス・キリストのお働きを聖書は、次のように記録しています。ヘブライ人への手紙9章14節です。
「まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。」

また、イエス・キリストは、死んだことで終わるのではありません。イエス・キリストの復活と再臨も聖霊様によるものです。
エペソ信徒への手紙1章20節です。

「 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、 」

イエス・キリストの生涯は、御霊によるものです。。皆さん!イエス・キリストのようにこの世に生まれて、イエス・キリストのようにこの世を去った人がいるのでしょうか。そのようなイエス・キリストの唯一無二な人生は、すべて、父なる神様の御霊による出来事でした。

第三、イエス・キリストは、正義と平和を実現される為にこの世に来られました。
メシアであるイエス・キリストが来られて、実現される国は、どういう国だと思いますか。人類は、理想の世界を待ち望んでいると思います。その世界をユートピアと言います。しかし、人間が待ち望んでいるユートピアは、言葉の意味通り存在しないのです。ユートピアは、「no」と「place」が、組み合わされた言葉です。簡単に言うとそのような所は存在しないと言う意味です。

しかし、聖書は、その理想の世界、ユートピアが、存在すると語っています。そのユートピアは、メシアであるイエス・キリストが統治される神様の御国であると、聖書は語っています。聖書が語っている神様の御国の本質は、いつも、正義と平和です。預言者イザヤは、メシアであるイエス・キリストが統治される御国には、正義と平和が満たされている国であると語っています。イザヤ書11章3〜5節の核心的な言葉は、「義」です。また、6〜9節での核心的な言葉は、「平和」です。

イザヤは、まず、「義」を強調して、また、次は「平和」を強調します。なぜなら、正義の実現なしに、真の平和は、存在できないからです。平和を破壊する根本的な原因は、人間の罪だと思います。私たちの罪が、神様の恵みによって赦された瞬間、私たちは、初めて、神様と和解され、隣人と和解され、真の平和を味合うことが出来ます。イザヤが、証言している正義のメシアの姿がどう言うものであるか調べましょう。イザヤ11章5節です。

「正義をその腰の帯とし/真実をその身に帯びる。」

この正義のメシアであるイエス・キリストによって不義に満たされているこの世は裁きを受けます。その審判の後、真のユートピア、神様の御国の様子を6〜9節で見ることが出来ます。

「Is. 11:6 狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。
Is. 11:7 牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
Is. 11:8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。
Is. 11:9 わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。    」

ユダヤ人たちは、そのような世界を「シャローム」の世界」と言います。

2017年前、この世にイエス・キリストが、来られた理由は、私たちに正義と、平和を与えて下さる為です。イエス・キリストがこの世に来られたクリスマスの日を人々がお祝いする理由がここにあります。イエス・キリストの到来によって、この世に正義と真の平和が実現されるからです。この世の全ての人々が、イエス・キリストを救い主として受け入れて、信じるならば、この世に、正義と真の平和が溢れる神様の御国が来ます。それで、私たちが毎日祈り求めるべきことは、「御国が来ますように」と言うことです。

 

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