万軍の主、イエスキリスト

 

イザヤ書9章5-6節

 

万軍の主、イエス・キリスト

(イザヤ書9章5〜6節)

  預言者イザヤが働いていた時、イスラエルは、北と南に別れていました。いつも南ユダは、北イスラエルの侵略の危険に脅かされていました。南ユダのウジヤ王がなくなった後、アハズという人物が南ユダの王になりました。アハズは、北イスラエルの侵略の攻撃に備えて、アッスロという異邦人の国と手を組みました。

しかし、南ユダヤの人々は、アハズの政策を信頼しませんでした。右往左往するアハズの政策は、混乱を招き、人々の生活は、苦しくなりました。

南ユダの人々は、信頼出来る、頼る事が出来る王を、リーダを期待し、待ち望んでいました。それで、南のユダヤ人々は達、イザヤの預言に耳を傾けました。果たして、この世に、私たちが、信頼出来る、頼る事が出来るリーダは、王は、存在するのかと、南ユダヤの人々は、イザヤに尋ねでいます。

その時、イザヤは、7章14節の御言葉の続きで、メシアの到来を預言します。もちろん、当時より遠い未来に来られるメシアが、ユダヤの人々人に何の役に立つかという疑問を抱く人もいるかもしれません。それで、今日の聖書箇所は、アハズの王の次に来る比較的に賢明な王だと評価されているヒゼキヤという王の到来の約束の御言葉だと理解する神学者もいます。学者達は、5節の「権威が彼の肩にある」という御言葉が、その説の元になっている主張しています。

しかし、6節に記されている御言葉を見ると、この預言は、イスラエルの統治を超えて、全世界を治めるメシアに対する預言だと考えるのが妥当だと思います。

今日、私が皆さんと共に考えたいのは、私たちが、信じている、また、信じるべき、メシアは、どういうお方であるかという事です。メシアは、私たちが、信頼出来る、また、頼る事が出来るお方なのでしょうかという事です。今日の聖書箇所は、メシアに対して五つのことを記録しています。

第一に、メシアは、不思議なお方です。

5節を読みたいと思います。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」

「驚くべき指導者」という言葉があります。新改訳聖書は、「不思議な助言者」という言葉を使っています。英語の聖書は、「wonderful counselor」という言葉を使いました。メシアとして来られるイエス・キリストは、驚くべき指導者であり、不思議な助言者であり、偉大なお方であるという意味です。

旧約聖書士師記13章18節(405)を見ると、「不思議」というお名前で、現れておられる神様の話が記されています。

「主の御使いは、「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議と言う」と答えた。」

サムソンの父親であるマノアに神様の御使が現れます。その時、マノアは、「あなたのお名前は何ですか」と尋ねます。その時の御使の答えが18節です。

御使の姿をとって、現れた神様が示されたご自身のお名前は「不思議」でした。しかし、今日の聖書箇所で、イザヤは、その不思議な神様が、「一人のみどりご」の姿でこの世に来られると預言しています。考えていただきたいと思います。メシアの誕生は、どれほど不思議な出来事でしょうか。また、メシアとしてこの世に来られたイエス・キリストがなさった奇跡は、どれほど不思議で、驚くべきな事でしょうか。メシアの誕生から復活に至るまで、メシアの一生涯が、不思議そのものではないでしょうか。

メシアであるイエス・キリストは、一冊の本も書きませんでした。しかし、全世界の図書館にメシアであるイエス・キリストに関する本が、溢れています。メシアであるイエス・キリストは、一編の詩も書いたこともありませんでした。しかし、この世にはメシアであるイエス・キリストを歌う詩が溢れています。メシアであるイエス・キリストは、一曲の音楽も作成した事もありませんでした。しかし、大勢の音楽家達は、メシアであるイエス・キリストを褒め称える歌を沢山作成しました。メシアであるイエス・キリストは、一枚の絵も描いた事もありませんでした。しかし、大勢の美術家達が、メシアであるイエス・キリストに対する作品を描きました。メシアであるイエス・キリストは、一つの礼拝堂も建築した事もありませんでした。しかし、世界中で、メシアであるイエス・キリストを讃美し、礼拝する教会が、沢山あります。極めて、不思議なお方であり、驚くべきお方ではないでしょうか。

第二、メシアは、助言者です。

5節をもう一度読みましょう。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」

「指導者」という言葉があります。新改訳聖書は、「助言者」という言葉を使っています。原文に近い言葉が、「助言者」だと、私は思います。

イエス・キリストは、知恵を持って、人々を教えられました。奇跡を行われました。また、人々の問題を、悩みを解決してくださいました。山上の説教が終わった後、「人々は、イエス・キリストの教えに非常に驚きました」とマタイによる福音書は記録しています。マルコによる福音書7章37節を探してみましょう。

「そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」 」

マタイによる福音書9章35節を見ると、イエス・キリストは、天国の福音を宣べ伝えるだけではなく、あらゆる病気やわずらいを癒して下さいました。

「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」

マタイによる福音書9章36節も読んでみたいと思います。

「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」

イエス・キリストは、弱い人々や打ちひしがれている人々の真の友達であり、解決者であり、真の助言者でありました。

メシアであるイエス・キリストは、人間の体をとってこの世に来られて、自ら、人間の生き方を体験なさったお方ですので、私たちを慰めることが出来る、助言者であります。

第三に、メシアは、力ある神様です。

驚くべき知恵を持っていても、実際に、働く力がなければ、その知恵は、無力なものに過ぎないと思います。逆に、強い力を持っていても、知恵がなければ、その力は、暴力になってしまうと思います。

ところで、この不思議であり、偉大な助言者の正体、みどりごの正体を、イザヤは、「力ある神様」と言っています。

私たちは、ヨハネによる福音書に記されている、イエス・キリストが行われた七つのしるしを学びました。それらのしるしは、イエス・キリストが、人間を超えた、真の神様である事を示すしるしです。水をぶどう酒に変えたイエス・キリストは、質的変化を可能にされたお方です。遠く離れた所で、御言葉で、王の役人の息子を癒されたイエス・キリストは、距離と空間を超えたお方です。38年間、病気で悩んでいた人を癒したイエス・キリストは、時間を超えたお方です。パン五つと、魚二匹で5千人に食べ物を与えてくださったイエス・キリストは、ある量の問題を解決されたお方です。イエス・キリストは、自然を治められました。死んだラザロを生き返らせた後、「私は、復活であり、命です」と宣言されたイエス・キリストは、力ある神様です。全能なる神様です。

第四に、メシアは、永遠の父です。

もし、聖書が、神様を力ある神様、全能なる神様とだけ教えているならば、私たちは、その神様に近づくことが出来ないと思います。しかし、イザヤは、力ある神様が、全能なる神様が、私たちの父だと紹介しています。メシアであるイエス・キリストは、みどりごとしてこの世に来られました。また、人間の成長過程を自ら経験されました。それで、メシアであるイエス・リストは、赤ちゃんのような弱い人間の人生を、父親の心を持って顧みる事ができるお方です。

メシアとしてこの世に来られたイエス・キリストは、マタイによる福音書6章6節で「天におられる私たちの父よ」と祈りなさいと教えてくださいました。また、イエス・キリストは、マタイによる福音書7章7節で、「  「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」 勧めながら、次のような約束のみ言葉を与えててくださいました。マタイによる福音書7章11節です。

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 」

使徒パウロは、イエス・キリストを信じている私たちに起こった一番偉大な事柄を次のように証言しています。ローマの信徒への手紙8章15節です。

「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。」

いつでも、どこでも、私たちが、「お父さん」と呼んだら、私たちに来てくださり、私たちを抱きしめてくださり、慰めてくださるお方、その方は、永遠の父です。

第五に、メシアは、平和の君です。

メシアであるイエス・キリストがこの世に来られた時、主の御使達は、次のように褒め称えました。ルカによる福音書2章14節です。

「「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 」

もちろん、究極的な平和は、イエス・キリストが再臨される時、実現されると聖書は語っています。しかし、メシアであるイエス・キリストを救い主として信じ、受け入れて、神様に選ばれた民になる瞬間、私たちは、神様が与えて下さる真の平和を味わうようになります。イエス・キリストは次のように約束されました。ヨハネによる福音書14章27節です。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」

私たちは、何が起こるかわからない時代を生きています。ニュースを見ると、毎日残酷な事件が起こっています。戦争が起こる可能性がある国もあります。しかし、メシアであるイエス・キリストは、次のように約束の言葉を、私たちに与えて下さいました。ルカによる福音書24章36節です。

「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 」

そのお方のお名前は、不思議なお方、偉大な助言者、力ある神様、永遠の父、平和の君です。そのお方が、メシアとしてこの世に来られたイエス・キリストです。

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