光であられるイエス・キリスト

光であられるイエス・キリスト
(イザヤ書8章23節〜9章2節)

 イザヤは、人々が、今まで、一回も見たことがない大いなる光を見ると預言しました。その大いなる光は、言うまでもなく、イエス・キリストを意味します。大いなる光であるイエス・キリストは、誰に向かって光を照らす為に、この世に来られたのでしょうか。今日、私が、皆さんと共に考えたいのが、これです。大いなる光であるイエス・キリストは、誰を照らす為にこの世に来られたのでしょうか。二つに分けて考えてみたいと思います。

第一に、イエス・キリストは、暗闇に覆われているこの地を照らされる為に、この世に来られました。

イザヤ書8章23節

「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。 先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」

23節で、私たちが、注意して読む必要がある言葉が二つあります。「今」という言葉と「後」という言葉です。イザヤは、「今」人々は、苦悩の中にいますが、「後」 その人々に、希望の光が照らされ、深い喜びと、大きな楽しみが与えられると預言しています。

イザヤは、特に、ゼブルンの地、ナフタリの地に対して預言しています。ゼブルンの地、ナフタリの地は、カリラヤの北の地方にある町です。

カリラヤの北の地方は、いつも、アッシリアのような強い国の収奪と抑圧によって苦しめられていました。簡単に言うと、ゼブルンの地、ナフタリの地は、苦悩の地であり、苦難の地であり、なんの希望もない戦争が続けいている地であると言う意味です。しかし、イザヤは、この地方に、新しい時代が開かれると預言しています。希望の光が、ゼブルンの地、ナフタリの地を照らされ、深い喜びと、大きな楽しみが、その地に与えられると、預言しています。

救い主であるイエス・キリストがこの世に来られて、カリラヤの北の地方を中心にしてお働きをされました。イザヤの預言が成就されたということをマタイは、次のように記録しています。マタイによる福音書4章13〜14節

「13節、そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
14節、それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。」

福音書は、この地域を「イエス・キリストの町」と記しています。マタイによる福音書9章1節です。

「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。」

イエス・キリストは、暗闇に覆われている町、希望がない町、苦悩や苦難が続けている町に来られて、救いの光を照らされました。イエス・キリストは、イザヤの預言の通り、暗闇に覆われ、貧しくて、惨めな地域であるゼブルンの地、ナフタリの地に深い喜びと、大きな楽しみを与えて下さいました。それだけではありません。希望の光と、永遠の命の光を照らして下さいました。

さぜ、イエス・キリストは、一番先に、ゼブルンの地、ナフタリの地に行かれたのでしょうか。なぜなら、その地が、一番暗かったからです。ゼブルンの地、ナフタリの地が持っている苦しみが、苦難が、貧しさが、他の地域よりもっと厳しかったからです。

1885年4月5日、クリスチャンも、教会もない韓国に二人の宣教師が行きました。彼らの名前は、アンダーウッドと、アッペンツェラでした。当時、アンダーウッド宣教師は、次のような祈りを捧げたそうです。

神様、今は、何も見えません。
神様、干からびて貧しいこの地に。
目に見えることは、頑なに汚れた暗闇だけです。
今は、礼拝を捧げる教会もありません。
ただ、私は、警戒され、疑われ、軽蔑されています。
しかし、この地は、やがて神様の救いの恵みに覆われると、私は信じます。

約140年前、韓国は、アジアで一番貧しい国でした。その国に、イエス・キリストの救いの光が照らされました。希望がない地に、希望が与えられました。暗闇に覆われている地に、命の光が照らされました。それで、教会がない所に教会が建てられました。イエス・キリストを信じる人は、誰一人もいなかったんですが、今は、人口30%がイエス・キリストを信じています

真の光であるイエス・キリストは、希望がない所に真の希望を与えて下さる為に、この世に来られました。真の光であるイエス・キリストは、永遠の命を持って、貧しい人、悩んでいる人々、苦しんでいる人々を慰めて下さる為に、この世に来られました。

私たちは、すでに、真の光であるイエス・キリストから、真の希望を頂きました。永遠の命を頂きました。しかし、この地には、まだ、希望を失っているい人々が大勢います。永遠の命を待ち望んでいる人々も大勢います。その人々に真の光であるイエス・キリストを照らす責任が、私たちにあるのではありませんか。

 

第二に、イエス・キリストは、暗闇に覆われているこの地の人々を照らされる為に、この世に来られました。

イザヤ書9章1節を共に読んでみたいと思います。

「 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

イザヤは、イエス・キリストが、偉大な光として、この世に来られて、暗闇に覆われているこの地に、希望の光を照らしてくださると、預言しました。しかし、イザヤの預言は、それだけではありません。イザヤは、続けて預言します。光であるイエス・キリストは、暗闇に覆われているこの地だけではなく、暗闇の中を歩む人々にも希望の光を照らして下さる為にこの世に来られると。マタイによる福音書4章14〜16節を読みたいと思います。

「14節、それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15節、「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、
16節、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 」
イエス・キリストは、自ら、次のようにおっしゃっいました。ヨハネによる福音書8章12節です。

「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」」

光であるイエス・キリストがこの世に来られた理由は、暗闇の中を歩んでいる人々に命の光を与えてくださる為です。

偉大な光であるイエス・キリストが、この世に来られてから、もう2017年が経ちました。しかし、なぜ、この世には、まだ、暗闇が存在しているのでしょうか。なぜ、人々は、相変わらず、暗闇の中で生きているのでしょうか。そこには、二つの理由があると、私は思います。

一つの理由は、クリスチャンである私たちが、沈黙しているからです。
クリスチャンである私たちが、この世に向かって、光であるイエス・キリストを宣べ伝えていないからです。ローマの信徒への手紙10章13〜14節を一緒に読みましょう。

「13節、 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
14節、ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」

使徒パウロは、福音を宣べ伝えることを、決して、恥ずかしいと、思ったことがありませんでした。しかし、か如何でしょうか。現代のクリチちゃんたちは、如何でしょうか。大勢のクリスチャンたちが、福音について話すことを、恥ずかしいと思っているのではないでしょうか。ある牧師は、このようなクリスチャンの沈黙を「恥ずかしい沈黙」だと言いました。使徒パウロの告白をもう一度読んでみたいと思います。ローマの信徒への手紙1章16節です。

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」

もし、私たちも、恥ずかしい沈黙をしているのではありませんか。

この世には、まだ、なぜ、暗闇が存在しているのでしょうか。なぜ、人々は、相変わらず、暗闇の中で生きているのでしょうか。

二つ目の理由は、恥ずかしい暗闇に覆われているからです。

まだ、この世が、暗闇に覆われているもう一つの理由は、クリスチャンの存在が、光になっていないからです。私たちの内に光が存在しているならば、私たちの生き方を通して、存在自体を通して、その光を、必ず、現すべきだと思います。イエス・キリストは、マタイによる福音書5章14〜16節で次にようにおっしゃいました。

「14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」   」

私たちには、私たちの存在と生き方を通して、光であるイエス・キリストを現す責任があります。もちろん、私たちが、イエス・キリストを信じるということで、すぐに、イエス・キリストを現すことができる存在になるわけではありません。しかし、少なくとも、教会に通っているならば、イエス・キリストを信じているならば、福音を伝える働きを、妨げる行為をしてはいけないと思います。

私たちは、イエス・キリストという偉大な光に出会いました。その偉大な光が、私たちの内にいます。それで、今の私たちは足りないけれとも、私たちは、私たちの内にある光を表す為に最善を尽くす人生を過ごさなければなりません。私たちの存在を通して、生き方を通して、自分自身ではなく、自分自身の力ではなく、経験ではなく、救い主であるイエス・キリストを現す生き方、それが、私たちが、目指すべき生き方だと私は思います。

 

 

 

 

 

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