日本キリスト改革派高松東教会

2017年10月22日講壇交換

22日の礼拝は、徳島教会の古澤純人先生が来られて説教奉仕をして下さいました。

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2017年10月21日韓国料理教室

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2017年10月22日週報

週報2017年10月22日

ヒゼキヤの祈り(2017年10月15日礼拝)

12、ヒゼキヤの祈り
イザヤ書38章1〜6節

 イザヤは、救い主であるイエス・キリストの誕生に関して一番多くに預言した人物です。つまり、イザヤは、世の人々に、一番、良い知らせを沢山伝えた人物であります。しかし、今日の聖書箇所でイザヤは、良い知らせではなく、悲しい知らせを伝えています。

今日の聖書箇所が記録された時の南ユダの王はヒゼキヤでした。ヒゼキヤは、南ユダの王の中で、優れた王であり、国民達に尊敬された王でした。列王記下18章1〜8節には、ヒゼキヤに関して次のように記されています。ヒゼキヤは、神様の御前で正しいことを行った王(3節)、偶像を切り倒した王(4節)、神様により頼った王(5節)、主の戒めを守った王(6節)として紹介されています。

しかし、ヒゼキヤは、死の病気にかかってしまいました。イザヤは、ヒゼキヤにの所に行って、神様の御言葉を伝えます。それがイザヤ書38章1節です。

「そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。」

いかに悲しい知らせでしょうか。病気で横になっていることも悲しいことなのに、神様の預言者が来て、あなたの病気は癒されずに、あなたは死ぬと宣言したのです。これが今日の聖書箇所の始まりです。

今日は、神様から、あなたは死ぬと宣言されたヒゼキヤは、神様の御言葉にどのように反応したのかを調べたいと思います。また、それが私たちにどう意味であるかを考えてみたいと思います。三つに分けて考えたいと思います。

第一に、苦難は、私たちが祈りを捧げるように促します。
イザヤの預言を聞いたヒゼキヤが、一番最初に見せた反応は何でしょうか。イザヤ書38章2〜3節です。

「2節、ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。
「3節、ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。」

ヒゼキヤの一番最初の反応は、神様に祈りを捧げることでした。皆さんは、如何でしょうか。もし、私たちがヒゼキヤのような状況に直面すると、ヒゼキヤのように、神様に祈りを捧げることが出来るのでしょうか。もし、私だったら、神様に質問し、抗議をしたかもしれません。

「神様、私は、主の御前で正しいことを行いました。偶像も切り倒しました。それで、主の戒めを守りました。そのようにした私に、なぜ、このような試練を与えるのでしょうか。私が、悪い王ではないことを神様は知っておられるのに、なぜ、私ですか」と

その時のヒゼキヤの歳は39歳でした。39歳という歳は、人生の花盛りの時だと思います。なぜ、私の人生がここで終わるのかと抗議をしても、おかしくないと思います。しかし、ヒゼキヤは、神様に無駄な質問や抗議をするより、切に、祈りを捧げる姿勢を選択しました。

ヒゼキヤは、顔を壁に向けて祈りを捧げました。なぜ、壁に向かって祈りを捧げたのかと疑問を抱く方もおられると思います。それは、ヒゼキヤが、他のことに注意を向けず、神様だけに集中する為だと思います。心を尽くして祈りを捧げるヒゼキヤの心を示す言葉です。

3節で、ヒゼキヤは、涙を流し大いに泣いたと記録しています。涙を流して大いに泣くしか出来ない自分自身の終末、また、死が襲おうとしているその時、ヒゼキヤは、祈りを捧げました。神様に祈りを捧げるというのが、ヒゼキヤにとって大きな安らぎだと、私は思います。私が好きな賛美歌があります。「祈れるのになぜ」という賛美歌です。

「    」

私たちも、ヒゼキヤのように祈ることが出来るという事、その事実が私たちに大きな安らぎを与えてくれるのではないでしょうか。私たちは、時々、祈りしか出来ないと言います。その言い方は間違っていると思います。このように言ったらどうでしょうか。祈りも出来ると。大勢の人々が厳しい苦難や難関に直面すると、諦めると思います。しかし、私たちには、祈りという祝福の通路うがあります。何があっても、諦めず、神様に切に祈りを捧げる、そのような信仰生活をしてみませんか。

第二に、苦難を通して神様の答えを経験します。
ヒゼキヤは、切に、神様に祈りを捧げました。神様は、ヒゼキヤの祈りに答えくださいました。ヒゼキヤに与えられた神様の応答は、何でしたか。イザヤ書38章5節です。

「「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、」

やがて、福音、良い知らせが聞こえて来ました。神様が、ヒゼキヤの祈りに耳を傾けてくださったのです。ヒゼキヤの泣き声に耳を傾けてくださいました。神様は、ヒゼキヤの涙に視線を止めて下さったのです。

皆さん!ヒゼキヤの祈りに応答してくださった神様が、今、私が信じている私達の神様です。ヒゼキヤの涙をご覧になった神様は、今も、私たちの涙に視線を止めておられます。私たちが信じている神様は、私たちの祈りに耳を傾けてくださり、応答して下さる生きておられる神様なのです。
皆さん!苦難の中におられますか。他の人に言う事も出来ない悩みを持っておられますか。神様に切に、祈って見ませんか。ヒゼキヤの祈りに耳を傾けてくださった神様が、私たちの祈りにも、確かに、耳を傾けてくださいます。

第三に、苦難を通して、私たちに与えられた使命が何であるか悟るようになります。
ヒゼキヤは、祈りを通して、神様から、15年の寿命を延ばしていただきました。死を目前としている患者さんたちは、時には、今から3年、もしくは、1年たけでもいいから、命を延ばして下さるようにと切に祈りを捧げます。もちろん、人間の欲望は、限りがないと思います。それで、20年、30年、もっとこの世で生き残ることを願うかもしれません。

神様は、ヒゼキヤに15年の寿命を延ばして下さいました。どれほど大きな恵みでしょうか。私たちが、このことを通して考えなければならない事が一つあります。神様が、ヒゼキヤに15年の命を延ばしてくださった理由が何であるかという事です。それは、単純に、この世で長く生きる事を意味するのではありません。神様には、ヒゼキヤを通して成し遂げなければならない御心がありました。イザヤ書38章6節です。

「アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く。」

神様の御旨は、ヒゼキヤ用いられて、エルサレムと南ユダをアッシリアの侵略から救う事です。アッシリアの王は、北イスラエルをBC721年に滅ぼしました。しかし、南ユダは、粘り強い抵抗を続けていました。神様は、アッシリアの侵略から南ユダとエルサレムを守る為に、ヒゼキヤを用いられると決定されました。それで、ヒゼキヤに寿命を15年延ばしてくださったのです。

人間は、皆、長生きを願っていると思います。しかし、単純に長生きだけをしたら、その人生にどんな意味があるのでしょうか。私たちの命が終わるまで、神様からいただいた使命を全うする人生を過ごす事、それが、もっと大事なことではないでしょうか。神様は、私たち一人一人に使命を与えて下さいました。神様は、私たちにその使命を全うしてもらう為に、今も私たちの命を延ばして下さいます。

アフリカの宣教師として一生を過ごしたリビングストンは、苦難や難関に直面するたび、次のような告白を繰りかえしたそうです。
「 I shall not die until my work is done 私は、私の使命を全うするまで、死ぬことはできません。」

第一ペテロの手紙1章24〜25節の御言葉を探してみましょう。

「24、こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。
25、しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」

この永遠の御言葉に基づいて、今週も、神様が私たちに与えてくださった使命を全うする為に、最善を尽くす人生を過ごしてみませんか。神様は、真実なお方です。神様は、私たちを用いられて、ご自身の御旨を成し遂げられる為に、今日も、休まず働いておられます。

 

 

2017年10月15日週報

週報2017年10月15日

回復して下さるイエス・キリスト

2017年10月8日の説教原稿

11、回復して下さるイエス・キリスト

2017年10月8日の週報

週報2017年10月8日

 

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